此度の水災について
私の住んでいる場所は全然被害はなかったのですが、近くの地域は大変なことになっております。
私の住んでいる場所は、幸いなことに立地上天災に合いにくく、助かっております。
そのせいで、今回みたいな災害にはイマイチ現実味がありません。
ただ、いつ降り掛かってもおかしくはないので、情報収集等はしっかり行っていこうとおもっております。
災害にかんして、少し興味深い記事があったのでご紹介したいと思います。
同じ様な内容にはなりますが、被災者に関しての善というのは難しい物だと思います。
偽善という言葉がこれを余計難しくしてしまっているのですが、偽善って悪いことなんですかね?
そもそも偽善ってなんなんですか?
例えば被災者に何かをしてあげて、それは被災者を可哀想と思っているからやる行為です。
でも昨今のSNS等の人種からもわかるように、被災者を可哀想って思っているのは建前で、被災者に何かをしてあげたという事に対して優越感に浸っている人は多数いると思います。
おそらくそういう人たちに対して「偽善」という言葉は当てはまると思うのですが、実際に行動を起こして人の為になにかしたのであれば、気持ちはどうあれそれは「偽」ではないと思います。
だって人に取っての善を行っているわけですから。
もちろん上で言ったような気持ちを心情的に「気持ち悪い」と思うことは間違いではないと思います。
なんとなく嫌悪してしまうのもわかります。
でもその行いに対して偽善というのはやはり間違ってます。
実は何かしてあげるというのは勇気がいる行為で、行動を起こせるのは素晴らしいです。
それに関しては、どんな理由であり善を行っている人は胸を張っていいはず。
しかし、上で紹介した記事は別です。
相手が嫌がっている事を押し付けるのは善ではないです。
被災者側が、その申し出は困るのに、それに対して支援してやってるのにそれはおかしいと言う人が多数見られますが、完全に頭おかしいです。
そもそも少し考えればわかることです。
第一に、東北の震災等も含め、今までも多数災害がありました。
その度に、個人で行う救援物資等で、逆に本命の邪魔になるというケースもいっぱいありました。
まずそこで学んで、本当に大切な事だけに目を向けるべきです。
仮にそこを分からなくて、行動しているとしても、被災者側が遠慮しているなら、「この行為はあまりよくないのかな」と自重する考えに至るはずなんです。
その配慮ができず、自分がやった事を受け入れてもらえずに駄々こねているだけなら、それはただの害でしかない事を自覚するべき。
千羽鶴に関しても、もちろん気持ちはあるのでしょうが、切羽詰まっているときは物理的に邪魔になります。
はっきりいって何の役にも立たず、頂いたものなので捨てづらく、荷物としてもかさばります。
善の押し売りは害になります。
自分の為にやってくれたと思うと、蔑ろにできず、余計に困ることになります。
一度自分の身に置き換えて、本当に何が重要なのかをよくかんがえてから行動するのが大切なのかもしれません。
相手の意見を尊重し、何を欲しているかの情報を集める所からやってみるのが良いと思います。
何の関係もない私が偉そうに言うことではないのかもしれませんが、いち早く復旧する事を祈っております。